2005年 06月 11日
おじのカメラに対する話題が、女性に絡むのは
私のところへ良く登場してくださる越渓さんのブログは私の大好きなE-300に加えて、懐かしい銀塩カメラも登場し、本当にくつろげる場所である。





しかし、そういう同じ雰囲気を好むおじさんが集うと、ついつい話が、カメラにかこつけて色気だの何だのと言う話に発展してしまっているのだ。典型的なものにカメラやレンズを評価する、表現するにあたって女性に対するかのように、、。

これは、別におじが無理矢理そういう話題にしているわけでなく、カメラを思う時に女性に対するそれと重なるところがあるのである。

先ず、正直に言うとお気に入りのレンズ等の気に入った理由をとかくやれ、レンズ構成が云々とか、描写が云々ととりあえず蘊蓄をたれるのであるが、その実、実際の所、もう最初の第一印象、ぱっと見でくらっときてしまっているだけ、というのが少なからずあるというのは事実である。

理屈でなく、そのレンズの怪しげな光や、造形の美しさにもう参ってしまっているのだ。理屈付けはただ単に正当化するみたいなところである。

次に、クラシックカメラというのは気まぐれで、うまく写るかと思えばそうでなく、下手をして機嫌を損ねたりすると調子が悪くなったり、(嘘のようであるが)ずーっとお気に入りのレンズばかり相手をしてたまに使ったりすると調子よく働いてくれないのである。この辺の人間くさいところと、こんちくしょうと思いながらも惚れている弱みでついつい下手に出てご機嫌をとってしまうのも、異性に対しての気遣いと極めて似ているのだ。

そして、クラカメの場合にはこれに出会い、別れのドラマが生まれるのである。探し求めていて出会い、ここで手に入れなかったらもう会えないかも知れない。これで悩むだけなら良いが、こいつを手に入れるためには、だれかと別れなければ、しかし、いざ別れるとなると妙にそいつにまた愛着がわきと、、。

このときに、心の中の葛藤が、普段はおじとして社会の中で節度と社会良識の中で若い頃に置いてきた熱くて、にがくて、もやもやーっとした感情を思い出させるのである。

断っておくが、ここでいうのは○○フェチの様なカメラを異性の代替物として云々という倒錯的な事を言っているわけでなく、カメラとの出会い、別れ、つき合いの作法等が異性とのそれを想起させると言う意味である。

尤も、これはおじに限らず、若い人でも感じることだろうが、おじになると「ここはプライベートである」とくつろいでしまうとその辺の照れや衒いのバーが低い、有り体に言えばゆるくなってしまうのだ。

とはいえ、こういう誰でも入ってこれるところろで、おじがビール片手にうだうだ言うようなことを書いていて良いのか、実際に女性の読者もおるではないかと言う議論もある。

しかし、しかし、しかし、ここであえていわせてもらうが、私の所や、越渓さんのところへ顔を出すような、素晴らしい女性の方々は、大きく、おおらかにこれを見守って頂きたいのである。

はっきり言うが、私のブログも決してさわやか~では無い。越渓さんのところも似たようなものである。(越渓さん、ごめん(笑))

でも、でも、そんなおじさんのくつろげる場所でこれからもありたいし、加えて愛するカメラのようなすばらしい女性の読者にももっともっと訪れて頂きたいと実は思っているのである、(そう、あなたですよ)。
↑これに関しては越渓さんは、今激しく同意している(はずである)

引き続き、頑張っていきたい(って強引な〆で意味不明)
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by Hiro_Sakae | 2005-06-11 23:28 | 雑記諸々


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