2005年 12月 11日
デジタル加工の是非について続編 何故カメラを、、、
デジタル加工の是非についての記事の中で、自分自身でつきつめると、デジタルにおいては写真も絵画もデジタルの画像という意味では等価になるのでは無いかと書いた。(当たり前であるが、この文章中の写真もいわゆる報道、記録と言った類でなく、アート的なもの、趣味の表現としての写真である。)

では、写真は何だというと、ある作品としての画像を作成する上で、カメラというレンズを通して直接光からデータを取り込むもの、及びそれをベースに作った画像と言うことだろうか。画像を作る一番最初の手段をカメラという機械に託すというところが銀塩でもデジタルでも変わらない部分である。しかし、、、、



例えば、私があるバラの花を見て、ああこういう感じで撮れてこういう色合いなら素敵な画像になるだろうなあとイメージするとしよう。それで先ず、写真に撮る。帰ってきて実際にしげしげ見ると自分が思ったイメージ通りでないとする。これを「写真」と呼ぶ。

色合いや、明るさを変え、イメージには無かった不要なバックを消しまあイメージ通りの画像が出来たとする。次に、私はとてもスーパーな絵心を持っていてソフトを使っていかような画像も作れる才能があったとしよう。私はとりあえず頭の中に完璧にイメージを作り、それを完璧にドローイングしていって、画像を造り上げたとする。これを「絵」と呼ぼう。

私が頭に思い描いたように、デジカメの画像を加工出来「写真」を造り上げることが出来て、また思い描いたように「絵」が作れるなら、これは殆ど同じものが出来るに違いない。むしろ完璧に頭の中にイメージするものがあるのであれば、(技術的にクリア出来るのであれば)「絵」を描いた方が早いという話しになる。

上の例によるまでもなく、一般的にとりあえず自分のイメージを或いは見たものを絵にするには写真(レンズで直接その光をとりこみ画像化したもの)が一番簡便であり、且つ早い。仮にそれを元に想像をふくらませるにしても、それを見ながら一から描くより、その写真を元に加工する方が早いだろう。デジタルになって仮に描いたものと、撮ったものが等価になっても写真撮影というものが、廃れないかもしくは、ボーダーレスに活用出来るという意味ではアートの中でのカメラのフィールドは狭まることは無いのではないかと思う。

さて、話題を変えて上記のような殆どのものはカメラを使わずとも描ける、もしくはそのような夢のようなソフトが出たとして、カメラで撮る、写真と言ったものは不要になるだろうか。
それは、無いと思う。写真の本質の一つに、古くから言われているようにこの意志を以て画像を作る作業の一番最初のとっかかり、すなわち光をレンズを通して画像として定着させるという作り手の意志を一瞬離れる作業がどうしても必要だからである。

カメラから、PC迄これだけデジタルに理詰めで行う作業であるにもかかわらずこの最初の部分を偶然に委ねていると言うところ、突き詰めても全てを絵画のように全てをコントロール出来ないところが写真の本質では無いかと思うのである。

皮肉な言い方をすれば、カメラはそのレンズを通して捕らえうる光をそのレンズの性能条件に応じて忠実に画像として再現する。しかし、それは私の目が見る世界とは違う世界である。私は1/200秒の様な一瞬の世界を認識出来なければ、花を見つめていてもしべの花粉の粒までは見えていない。また花の後ろにとろけるようなぼけが見えているわけでもない。これらは現実にはそこにあるのかもしれないが、写真でしか知覚できない世界がある。

もっと拡げて言うと、私の貧しいイマジネーションや、限られた視覚能力では到底イメージしたり認識出来ないような世界があるということだ。もし、カメラが無ければ恐らく私にどんなに絵を描くテクニックがあったとて思いつかなかったような世界がそこにはある。

カメラというものを通じて、簡便に、素早く、ただ目で見るだけでは蓄積が不可能な様々な世界をイメージとして蓄積出来る。その中で更に自分の想像でそれをより高くできるのであればそれを何も否定することは無いし、ここに写真の真骨頂がある。そしてこの手の話しは1920年代には当時のアマチュア達で議論されたことである。(当時は銀塩かデジタルではなく、絵画か写真かと言う論争であったが、、)

では、お前はどうなんだと言われれば、私自身はあまり調整をしない。(笑)いや、出来ないと言った方が正解かも知れない。先ず、技術もあまりなければ、カメラが拾ってくる或いは私に「こんなん撮れましたけど、、、」と見せてくれる世界の方が私の想像していたものより良いからだ。相棒のカメラとレンズの方がまだまだ上手だ。(笑)
時々、思い切りいじりたい(と言っても、色調を大きくいじったり、葉っぱのゴミをとりたいとか)誘惑に駆られこっそりやってみるが、駄目だ。何か不自然になったり、色調などいじろうものなら、ペンキ絵の様になってしまうのだ。(苦笑)で、結局こんなことで悩むくらいならもっと知らない世界に出会えるかも知れない、何よりあれこれレンズをいじりながらの方がPCとにらめっこするより楽しいとまた散歩に出てしまうのだ。結局、加工含め可能性が広がった分それぞれ、被写体を見つける→撮影→加工→作品化の好きな部分を楽しみ、好きな部分で腕をふるって最終的な上がりがどんどん良くなればと思う。

全然まとまりが無くなったが、私自身は絵は描けないが、見るのは絵も好きだし、写真も好きだ。ただ、私の場合はカメラやレンズにも愛着を感じる困ったおじさんで、私の写真はこいつらとのコラボで出来上がっている。彼ら抜きの楽しみはあり得ないので、これからも結局はカメラとお散歩というスタイルは変わらないのかなと思う。結論がでない文章で申し訳ないがこんなところだ。
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by Hiro_Sakae | 2005-12-11 18:22 | その他写真関連


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