2006年 05月 04日
ブログの事と、写真の自己表現について
いつも、楽しませてもらっている匠さんのとこのブログでブログについてはただ自分がと言う視点だけではあかん、と言うのと別の記事で写真に自己表現は必要かと言う話しが出ていた。
 リンクして、呼応するように書こうかと思ったのだが、匠さんとこのブログはスピードが早く既に過去記事になってしまったのと、(笑)多分、私も脱線すると思うので、与太~っと書くことにする。





 まず、何で写真を撮っているのかと言う事になると、まあ「好きだから」ということだろう。元々絵を見るのは好きだったのだが、これはからっきし駄目で、そんな不器用な私でも何とかとりあえず写真はシャッターを押せば写る。また、私の場合、典型的文系人間であるからこそ、カメラとかの機械ものは摩訶不思議なもので、こういうものに小さい頃から興味があるからだ。カメラを触って、楽しみ、こいつと一緒に、自分がおおっと思ったものを記録していける、、と言う意味で写真はとても楽しいものである。

 そして、楽しみながら実はこの写真そのものが自分自身の記録になっていると言うのを自分がそろそろ人生80年の折り返しを越えたあたりから、痛切に感じたこともカメラ趣味から写真中心に少しずつシフトしていった理由であろう。記録を残すという意味では、こういう文章があり、またビデオというものもあるだろう。或いはあまりポピュラーでは無いが録音というものもあるかもしれない。

 全部、ばらばらの様であるが記録されたものを再生する時に文章は読む、ビデオや録音物は視聴すると言う作業、つまり一定の時間を要する。しかし、写真だけは一枚の絵であるから、ぱっと見て終わりである。そしてその1枚ぱっと見ただけで、その時の情景や、或いはその時の気持ちが思い出されるのである。勿論他の記録と違い正確に残すという点では劣る。しかし、その時それを写した時の気持ち、場所、或いは思いと言った断片、エッセンスと言ったものがすぐ再現されるのだ。私の撮っているような他愛ない写真でもサムネイルで一覧しただけで、私にはわかるその時々の「記録、記憶」が込められている。それは、その情景の、対象物と言うよりも、その場の例えばむせかえるような草の匂いであったり、暗いものしか目が向かなかった当時の仕事上の行き詰まりとか、そう言ったものが浮かんでくるのである。写真というか、視覚に訴える静止画、絵というものの持つ力だろうか。個人が写真を撮ると言う事は、そう言う意味では極めてパーソナルな営みであるかもしれない。

 では、何故にこうしてその写真をブログで公開したり、或いは人に見せているのか?と言う点はどうだろう。これは、何というか私は極めて単純である。例えば、何か面白い噂を聞いた、すてきなものを見つけたとなった時に、自分自身が面白いと思い、或いは驚いたとする。そう言う時、大人になると段々そう言うことも分別がついて、「だからって、何だ」とか、「こんなことは俺がしらなかっただけかも、人に言うなんて恥ずかしい」とか思ってしまう。

 しかし、例えば小さいこども、或いは自分が小さな時を思い出して欲しい。そういうことがあると、「ねえねえ、ママすごいこと見つけたよ」とか「あのさあ、こんな事知っている」とか自分の楽しいことや、悲しいことも親や、親しい人に話さずにはおれないと言う気持ちが無かっただろうか?
私は、本来人間は、自分の感情をゆさぶられたものや発見、驚きと言ったものは自分自身が感じるだけでなく、それを誰かに伝えたい、自分の心の中だけでしまっておくと言うのは難しいのが正常では無いかと思うのである。自分の発見や秘密を漏らしたくなるのである。だから「王様の耳はロバの耳」では無いが、話せなくなると穴を掘ってでも話したくなる。

 私は、写真をアップする際は、やはり色々な心持ちの中で撮れたものを、「こんなもの撮ってしまった」とか「こんなんが面白いと思ったんだけど」と言う気持ちの延長線上で上げている。写真にとどまらず、大好きなオリンパスや、カメラの話しもベースは同じ気持ちからである。実際の社会では、それを聞かないといけない相手の立場や、馬鹿にされるのではと言う(陳腐な)プライドが邪魔をするわけであるが、ブログ上では公序良俗に反しない限りにおいては、その辺の精神的負担が軽いために、私にとっては楽しいものになっている。

 人は、それぞれの中で感じるものがある。そして、それがより自分にとって感じることが大きい程、思わず話したくなってしまう。これがあるからこそ、人に対して働きかけがおき、またそれに対してと言う具合にコミュニケーションが起きる。ブログはコメント、TB等の機能もあり、とても好都合である。

 また、発信する以上は、それに対する反応もある。「こんな写真だめだよ」とか「馬鹿じゃないか」とへこまされたり、或いは何も反応が無いという無言の否定を食らう事もあるだろう。人につまらないことを言われて嫌な思いをしたり、へこむぐらいなら、やらない方が良いという考えも成り立つ。しかし、私は、写真で自分らしさを持ちたい、或いは個性を持ちたいと思っているならこの他者の目というのは避けて通れない、そのために嫌なことがあってもそれは、さらにより良いものを得るための「必要経費」だと思うのだ。

 他人とは違う自分の世界、それが成立するには自分とは違う他人や、自分の価値観とは違う他人の価値観が無いと存在し得ないものだ。壁と屋根と扉があって外と仕切れるから自分の家が構成されるのと同じである。もし、他人には一切見せず、自分だけがその写真を見て、自分だけが他人の写真と比べて「自分の写真は個性がある」「すごい」と思ってもそれが本当かどうかはわからない。他人から見れば、他のものと「大してかわらない」「そういう表現ならもっとうまいものがいくらでもある」と言う話しになるかも知れない。何よりもし、そういうコメント、示唆を得ていたなら新たに工夫したり、或いはその表現を捨て、より自分にあったものを見つけられたかもしれないと言ったチャンスを全て捨ててしまうことになるからだ。

 そう言う意味では、話題がそれるが、最近(と言っても大分立つが)のナンバーワンでなくオンリーワンという時の「オンリーワン」がいささか、うさんくさく思える。
 経済的に成功したものが一番とか、そういう統一された価値観でのナンバーワンと言った序列にとらわれず、人それぞれの大切なものを見つけ、そこに価値を見出し、人生の位置づけ、自分の満足感を得るという事自体は私は悪いことではないと思う。
 ただ、それであれば何も「オンリーワン」でなく、人それぞれ自分はこれと思うもの、分野の中でナンバーワンを目指せば良いだけである。個性に応じて分野を細分化すればよいだけである。例えば私はマクロフォトではナンバーワンはあり得ないが(笑)、町田郊外の某公園の森林ゾーンの葉っぱの写真ではナンバーワンになると言った類である。
 「ちょっと待って、そこまで自分の趣味、好みに細分化されたナンバーワンと、オンリーワンでは何が違うのか」という疑問が沸いて来るであろう。
 ナンバーワンは例えその分野が小さかろうが、大きかろうが本当にナンバーワン(でもツーでも良いが、、)かどうかを決めるのは自分でなく他人であると言うところだ。例えば上の例での葉っぱ写真でも私が、これは良いと思っても、「いやああのじいさんの方がええと思う」と言われれば、まだ、ナンバーワン途上である。しかし、「いえ、私にとってはこれが一番で、こういう表現こそ一番なのです」と言えば、オンリーワンにはなれるのだ。自分にとってのオンリーワンは自己完結で選択及び認定が出来るというのがナンバーワンとの大きな違いである。

 どちらが、良いかは人それぞれかも知れない。しかし、どちらにせよ、自分がこれがよいと思って、自分的にも最高に満足出来るものが、他人から見ても正にその通りで、他人も「それ最高!お前が一番だよ」と自他共に最高と言ってもらって面白くないと思う人は少ないだろう。自分で自分を認めるのも良いが、他人から褒めてもらったり認めてもらう方がより気持ちよくなれるというものだ。そして、世間一般的によりたくさんの効用を得ようと思えばそれなりの対価、リスクを背負わなければいけない(ここで言えば自分には耳の痛い意見、思い通りにいかない窮屈さ等)のはまあ当然のことだろう。

 話しが拡散したが、私が興味を持っているもの、自分が楽しめるものが写真、カメラであり、自分がこういうものに楽しさを発見したり、これは良いと思っている。これを自分だけ分かれば良いんだというのでもそこそこの楽しさを味わえるかも知れない。しかし、こうしてブログに公開することにより、多少のマイナスはあっても、他人の目に触れることにより、より楽しいものになるのではと思うのである。公開することにより、聞きたくない批評、良いと思ったのに全く反応が無いという無言のプレッシャーや、コミュニケーションのエチケットとして時には読者の方に興味を持ってもらえる様な文章を書いたりしなくてはいけない。しかし、これらは一時的にはマイナスであっても、これがあるからこそ、より楽しみが深まるチャンスも来るのだと思っているわけである。

 結局、そうして突き詰めていくと他者とのかかわり、つき合い、モチベーションの維持、考え方等は日々の生活の営み、仕事等への取り組み方と基本は一緒になってしまう。そして、それらの表現として、このブログを通じて「写真」を選んでいる以上、回り道をしたが、結局私の写真も匠さんの結論通り、私自身そのものかもしれない。尤も、こうして読者の人に読んでもらい、見てもらい、刺激を受けている分、自分一人で成長するよりもかなり「げたを履かせてもらっている」のも確かだ。
この、お得感が感じられる以上はやはり、ブログはやめられない。(苦笑)関西人の血であろうか。(笑)
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by Hiro_Sakae | 2006-05-04 14:43 | 雑記諸々


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