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2006年 06月 11日
プロとアマの違い
今日は、雨でおまけに留守番状態。必然的に与太話である。最近、珍しく仕事つながりの若い人と写真の話しになった。「もし、若くて経済的にも不自由なければ、Hiroさんは写真のプロにあこがれたか」と言う事を聞かれた。私は、もしそうなら写真よりも若い時なら音楽かなあと言いつつ、「俺は写真や、カメラは好きだけどそれ以外の煩わしいことは嫌いだから、プロにはあこがれないだろうなあ」と答えた。門外漢の私が、門外漢の経験で書いた事ではあるが、、




「そう言う世界は知らないけど多分、写真の出来不出来、写真の善し悪しなんかと全く違うレベルのアマと歴然としたした差があるように思う。」

「偶然だろうが、何だろうか、ただお気に入りの写真を狙い、それだけを考えられるっちゅうのがアマでやる良さだと思うし、敢えて言うなら、唯一のアマの持つ強さ、怖さじゃないかなとも思うけどね」

と言う感じだ。写真に対する思い入れや、すばらしく上手い人の作品のレベル、モチベーションがアマだからと言うだけで、「お遊び」と否定されるのはおかしい、プロ、アマ関係なく出来上がりで表現すべき等どちらかと言えば、アマ肯定的な事を述べていた後に出た話でもあったので、相手には意外感をもたれた。私は、写真のことはここでごたごた言う経験も無いが、写真の上手い下手と、プロ、アマ論は似て非なる様な気がするからだ。以下は、私が考えたことである。ここを読んでいる方にも、写真及び、その周辺の本物のプロの方もいらっしゃるようなのでもし、「そりゃHiroさん、それはこの業界では違いまっせ」と言う方が居たらご教示頂ければ幸いである。一応私の業界というか、ビジネスでは当たり前の話しではある。(=私が、私のお仕事周辺に興味をもつ若いお兄ちゃんに常々説教することとほぼ同じであるが、、(笑))

1.求められるのはアーティストでなく職人気質
 ここを、はき違えると偉い目に遭う。ごくごく一部のスーパーな奴がこの世には存在するのは事実であるが、そういうスーパーな人間ですら、そういううらやむ才能に加えて職人気質は持っている。もしくは、そいつは鼻持ちならない奴でも、そいつを囲むチーム、ユニットとして見ればこの職人気質がうまく機能している。で、それは何なのか。

2.基本は相手、クライアント
 プロである以上、金をもらう。もらう以上は払ってくれる誰かが居る。この誰かに金に見合った対価のプロダクツもしくはサービスを提供する、と言う以上は、目線は相手になるのが当然の話である。「これが理解出来ないじゃ、○○社のレベルも低いですね」とのうのうと言う人間もいるが、それを言うなら「そういう○○社をターゲットにしたお前のレベルが低い」か「そういう○○社のレベルで対応出来るスキームを用意出来ないお前が悪いか」である。酒の上での他愛ない愚痴ならともかく、これを「真顔で受け入れられない理由」で語るのは論外である。ここの相手に合わせていかようにも「上げ下げ出来る腕を磨く」と言う努力をプロは強いられる。

2.点数の高さより、合格出来るか、それもコンスタントに、、
 言い換えれば、見極めと要領の良さ、過不足の頃合いだろうか。
 例を上げると例えば数学のテストがある。制限時間を60分に区切った場合と、90分に区切ったケースで、A君、B君で勝負するとする。
 A君は60分で70点、90分では全問解く余裕が出来100点とれた。
 B君は60分で80点、90分では90点だとする。

 もし、この試験の合格ラインが95点ならこれはA君が優秀であろう。しかし、この試験の合格ラインが80点ならB君有利である。もし、求められる平均が80点なら問題なくB君である。確かめるにはこれを30分の制限時間でやった場合の得点だろう。これでBの方が高ければ問題なくB君だ。
 言いたいことは、お仕事となると制限時間(納期)があり、最高得点よりもむしろ最低点がいかにハイレベルかどうかが要求される。確かに世の中には納期よりもクオリティの高いものを求められるケースもある。上の例で行けば100点を求められるケースだ。この場合はA君を使わないとB君は物理的に無理である。しかし、だからといって私がA君をメインに使うのではなく、B君で出来ない100点レベル優先の仕事だけA君に振るだけの話しである。尤も、中にはそもそも90分かけても80点(=合格ライン)に届かないと言う論外のケースもある(=意外と多い)のでそういうのはここでは省いた話しだ。
 また、仕事となると、受ける方以上に頼む方は失敗を恐れるので最低点の低いのはなかなか使えない。「そんなことはないぞ、やはり一発きらりと光るのもそれはそれで価値があるのでは」という意見もある。確かにそう言う面もあるが、それはクライアントから見れば「数ある依頼先の」「そういうものを必要とする際の駒の一つ」として認知されるだけで、コンスタントに「職業」として続けるには決して上手い立ち位置では無いだろう。この辺の要領、制限を考慮にしてやらなければいけないとうのもアマには無い不便さだ。

4.レベルの高低の視点が違う。
 これは、写真の様なアートなものは違うのかも知れないが、、、、
 例えば、私のグループ(ユニット)で斬新なスキームが成約出来たとする。或いはご同業の他事例を聞いたとする。駆け出しプレーヤーだと、このスキーム自体に興味が行く。このスキーム自体の手法の理解を勉強すると言ったところだろうか。これがもう少し上のクラスになってくると、自分は思いつかなかったまでも、見れば即座に理解出来る。もしくは、自分も思いついていたが解決出来なかったネックをどうクリアーしたのかと言った、裏のテクニック(表に見えない肝の部分)に思いが及ぶようになる。しかし、ここまではそのスキーム自体に関心が言っているという意味では同じだ。
 更に上になってくると、スキームの理解し、想定されるテクニックに頭がいってもこれは大体当たりが付けば良しとして、むしろ、このスキームがただの絵空事でなく成約に至った過程に関心が行く。有り体に言えば、クライアントにどう理解させたのか、このメンツ(集団)をどうやって集めたのか、そもそもどうやって接触したのか、極端に言えばこのクライアントがこのニーズを持っているところを何故察知したのか等々である。

 また、裏テクニックを推論するにしても、これに詳しい奴を呼んで解読するなんてことをやるのもそれはそれでよいが、クライアント側、或いはこのスキームの関与者へのコネクションを探して、直接聞いてしまう、あわよくば親しくなると言う方が、より「スマート」ではある。(苦笑)この辺の動き、勘所は、スキームの組成スキルとは何の関係も無い話しではあるが、こういう何の関係もないところでむしろ腕の善し悪しが決まると言うところにアマには無い煩わしさがあると思うのである。


何だか脱線してしまったが、結局私が思うのは写真の上手い、下手、向き、不向きとその人がプロだから、アマだからと言うのは関係ないと思うのである。結果として金をもらう対価として、日々訓練をするプロの方が「集団としての全体的なレベルがとても高くなる」と言う話しだ。
で、その世界に首を突っ込んでしまえば、そんな上手い下手、向き、不向きとは全く違ったスキルが要求されるのはどの世界でも同じだろう。だからお金をもらえる(笑)。プロにとってカメラは金を生む投資、アマは金を浪費するものである。その分こうして言いたい放題も出来るし、「夢」も見れるわけだ。(笑)

従って、話しは戻るが、「もし、若くて経済的にも不自由なければ、Hiroさんは写真のプロにあこがれたか」と言う問いに対する私の本音は、
「経済的に不自由なければ、別にプロになってこんな煩わしい事をしょいこまず、今以上にカメラ道楽、写真道楽に浸ります」だろう(笑)

好きなものを生業とする、若い時にそれにあこがれなかったかと言われれば嘘になるが、この年になると逆にその厳しさに目がいってしまう。そう言う形で人生を進め、それを生業としている方を私は、仕事でもふれあうことがあるが、無条件に尊敬してしまう。その人の作っているものが自分にとって価値があるか無いかとは別の次元で、一人の社会人として(結構取っつきにくい人が多いのも事実ではあるが、)含蓄に富んだヒントをもらえることが少なからずあるからだ。

最後に、写真って良いなと思うのは、そこにはプロが居てアマが居るというところだ。私のような仕事や、世の中の大部分の仕事にはプロ(=それを職業とする人)が居てもそれを趣味でやっているアマがいないというのが殆どである。このプロ、アマ両方存在して、他のアートに比べアマの裾野が広いというのは、プロアマ関係なく「写真」というものを考えた時の強みの一つだと思う。いつものように、脱線した尻切れトンボ状態であるが、この辺で、、、

by Hiro_Sakae | 2006-06-11 12:18 | 雑記諸々


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