2008年 05月 04日
GWで少し実家に戻った。
  毎年、帰省はしているもののいつもは、家族と一緒。いわば「ハレのイベント」今回一泊だが父が白内障の手術をしたのを見舞いがてら実家に戻った。一人で帰るのは本当に久しぶりだ。特に用事があるわけでもなく、すっかり整理されてしまったかつての?自分の部屋に残るものから珍しいものを見つけた、、と言うことでフォーサーズとは何の関係もない話である。(笑)

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  どちらも、私が中学2年の時に大阪の交通科学館というところで買ったものだ。この新幹線開業10周年のプレートは20センチ径ぐらいか?1974年は中学1年だが、その1年後に買ったことになる。そして、この野口昭雄さんというのは大阪の国鉄に勤めながら戦後間もなくから鉄道写真をとっていたもの。こちらは交通科学館の売店に見本の書籍が置いてあり幾たびに欲しいと思っていたのをようやくこのプレート共に手に入れたものである。

  以前書いたが、私のOMとの関わりは大学1年からスタートするわけだが写真に興味を持ったのは小学4年から中学2年までの鉄道写真が前段にあった。ちなみに、中学1年から私は鉄道以外に、元々音楽好きであったこともありラジカセ、ラジオ→オーディオにも興味が沸いていた。当時の私の極めて質素な財政事情?日々親から見ればがらくたに埋もれていくさまや、転居等で鉄道仲間と離れたこと等もあり、これを買いに行った交通科学館詣でを最後に鉄道からは足を洗ったわけだ。以降、写真は大学まで中断する。(家族のカメラ係は以前私ではあったが、、)まあ、最後に買った思い出の品と言うところだろうか。(笑)

  この写真集自体は、SLが多く登場するが交じって電気機関車等も登場する。私は当時はSLブームという様な感じの中でこの野口さんがSLと分け隔て無く新しい新鋭の電車等も美しいものとして等しく扱っているのが嬉しく思った。私はどちらかというと、SLよりも当時キハ80系のクリームに赤のラインの気動車特急や、後は58X系だったと思うが、同じくクリームに青のラインの電車特急が好きだった。友達とも赤だ青だ、どちらがよいとやっていた。当時は中一まで西宮にいたのと、指導兼機材貸出(私は自前のカメラを持っていなかった)の祖父が高槻に板関係から、この辺の沿線を中心に撮っていた。このあたりは赤も青も両方見れたし、電気機関車も多く私の大好きなEF66を格好良く撮るために流し撮りにいそしんだものである。(笑)

  で、最終的に私にとってこのキハの方の特急が思い出深いのには一つ理由がある。鉄道ファンか、鉄道ピクトリアルかどちらか忘れた。個人的には難しいのは当時はあまりすきでないので鉄道ファンの方を欠かさず買っていたと思うので鉄道ファンかもしれない。当時雑誌の後ろに読者同士の文通コーナーのようなものがあり、そこで写真交換の希望の様なものがあった。それで中学1年の時に、私は新幹線の岡山開業と共に四国だけで走っている「南風」という特急の写真がどうしても欲しくて、四国に住む大学生の方に手紙を出した。快くOKが出たので、私は、大阪駅で撮って気に入っていた「かもめ」の写真とはじめて東京のいとこ宅に言った際に一緒に上野駅に遠征した際にとった「はつかり」のキハ優等車コンビを送った。

  2週間ぐらい待った記憶だが、返信が来て開けてみると頼んでいた「南風」の写真がそれも3枚も入っていた。一つは正面から前面を撮ったもの、もうひとつは、斜め前方から停車しているところを最後尾車両まで入るようにうつしたもの、最後は走行しているところをやや流し撮りで撮ったもので、私のレベルとは全然違っていたが、丁寧なお礼と共に、とても良く撮れていると誉めてあった。今から思えば恐らく社交辞令ではあるのは間違いないが、当時は同じ鉄道仲間以外に写真を見てもらうのも初めてであり、且つ大学生の「大人の人」に誉めてもらいとても嬉しかったのを覚えている。それで私はキハ系優等車がとっても好きになったという他愛ないものだ。

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  脱線ついでに、これとクロスオーバーして私がオーディオに目覚めるきっかけになったのは中学に入る時に、溜めたお年玉で買ったSONYの「スタジオ1980」と言うマイラジカセを手に入れてからだ。そして当時ブームだったBCLにはまり、当然のごとく私はこれでもSONYのスカイセンサー5900を買った。クラスのBCL好きではSONYのスカイセンサーか松下のクーガかということでどうでもよい話を延々としていたような気がする。スタジオ1980の方もモノラルにスピーカーを外付けしても仕方がないのだが、中学の時に高槻から祖父がすぐ近くに引っ越してきたのもあり、三菱のロクハンを学校の放送部からもらってきた?教室の上にあるスピーカーのお古のボックスを使って作りつけ、外付けスピーカーとして使った。

  祖父は戦前通信兵が本職だったので、カメラだけでなく、ラジオや電気関係も頼れる存在だったからだ。勿論BCLの際も二回の軒下に電線とコイルでのアンテナを張る際に指導してもらったわけだ。(笑)

  こういう、多感な時期の経験というものは後を引くものらしく、その後ソニーはソニータイマーなどと揶揄されることもあったが、その後もWalkman,カセットデンスケと私のこの手のものに対するSONYのイメージは別格であり、その後ターンテーブル等魅力的な製品が出てもテクニクスにはどうも手が出なかった。それが今は、ズイこれをしながらオリと組むPanasonicに頑張れ~と言っているのは不思議なものである。その後、キットカットなるチョコがCMで流れた時にマッキントッシュと言われて、違和感を持ったものである。私にとってマッキントッシュというのは、大阪の日本橋のオーディオショップで一生縁が無い憧れの機種として眺めるアンプのそれであったし、サンスイと聞くとオーディオ機器自体よりも大学生の叔父の部屋にあった、黒くて重い真空管アンプ用のトランスを思い出す。

オリンパスも、当時は坊さんのOMよりもリチャードの相性のRCの方がどちらかといえば欲しかった。(笑)大学になってOM10を買った後も、新しく出たXAがすごく斬新でかっこよくて正直合コンに持っていくにはあっちの方が絶対良いなあと思ったりしていたものだ。

  い、いかん。話の収拾がついていなかった。でも何となく私が小六の時が1973年。このころから大学に入る1980年頃迄ってなんかカメラやオーディオあるいは、フォークギターやエレキの楽器にしろ、何か毎年毎年わくわくどきどきするものがどんどん出てきたような気がする。後は今に続くアニメの盛り上がりとか、(これは書くとまた収拾がつかないので、略)今、自分の娘がその頃の自分と同じぐらいの年齢になっているが、、そういうわくわくどきどきをこれから見つけていくのだろうか?また、何となくそういう気持ちをまた味わえるのかな?って思わせてくれるのもフォーサーズの惹かれるところかもしれない。と強引に結びつけて、この辺で、、(笑)
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by Hiro_Sakae | 2008-05-04 21:51 | 雑記諸々


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