2008年 05月 08日
来月は、待望のPancakeが来るというのに、、
 E-420+Pancake、既に色々ネットにも上がっているが良い感じである。かつて私はOMを使っていた、、といっても別にその頃はOMのパンケーキを持っていたわけではない。単に50/1.8の標準レンズを使っていたわけだ。でも何となく、標準画角で軽快で、、懐かしい気分である。
 しかし、久しぶりにOM10を買って持ち歩いたことを思い出しつつ、それをE-420に置き換えてああ、こうしてみたいと思う時にある問題がどよ~んと私の頭に出てくるのだ。いつかこれについては書きたいと思いつつ、、、ある意味写真好きのブロガーさんには共通の悩みでもあったりするのかとも思いつつ、、パンケーキとは脱線した話ではある。



 過去のネガを故あって処分してしまった私の手元に奇跡的に残っていた欧州旅行の写真。それをかつていくつかE-systemで「複写」してアップしたことがあった。「スナップやらへんの」と言うのは前からあった。、、かつての学生時代を思いだし、でも「スナップって、難しいのよ。どうせ多分チョロスナと言われるのがおちやし、、」というやりとりが丁度去年の夏頃、私の知り合いとメールでやりとりがあった。折しも私が血迷ってスナップに好適なMマウントのデジタルカメラを買ってしまい、あれこれとアップしていた頃である。

 「いやあ、もうあかんて、花撮りおじさんやて」と言ったら、「わかってるって、丁度良い本が出たから送って上げるよ」というのが暦上は秋に入ったまだ暑い頃。いやあ本読んで腕が上がる訳じゃないし、知らない仲でなく嫌みか?と思っていたら程なく1冊の本が貸与された。
朝日選書の日本写真家協会編の「スナップ写真のルールとマナー」という本である。持つべきものは友という奴か、、(笑)

 私が、このブログをやるようになってからもこの件は常に頭の中にあり、いやあったからこそ今の被写体を含めた写真の傾向?が形成されているところも無きにしもあらずというところはある。尤も、若い時もこういう寄りっぽいどうでも良い写真も好きでマクロレンズを持って撮影していたのは間違いないがこれほど、「偏って」いたというわけでもない。

 と、ここで肖像権の財産権と、人格権の何タラをあれこれ私が講釈をしても意味がないだろう。そして、実はこの友人ですら間違っている?ところ、つまり私が気にしている点、腑に落ち無い点はもっと別のところにあるのだ。

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 スナップショットで人物が入る。故意にその人を貶める様なものは論外にしても、写真として成立する内容、その人に「見せろ」と言われても堂々と見せられるし、その写真を「私が撮りました」と言って人に見せても恥ずかしくないものを撮ったとする。

 それにしても、例えばそれをネットで公開し、それで何らかの不快な思いを撮影された本人がしたと言えば、それは今の世の中突っ張るのは難しい。と言うかやめてくれといわれたらやめる、それ以上告訴する等と言われたら、受けて立つか、いくばくかの示談料を払うと言うこともあるかもしれない。尤も内容的に上記の書籍ではないが何らやましいことがなければ堂々と告訴を受けて訴訟を起こしても良い。それぐらいの覚悟は(実際になるかどうかは別にして)必要であろう。

 言うまでもなく、「プライバシーの侵害である」、「人格権を侵している」と言う基準は撮影される側が持っている。ある人によればそれは全然OKなこともあれば、他の人ではダメと言うこともある。もっと言えば、相手によってOKの場合もあれば、あんなおっさんに撮られるのは気持ち悪いからダメというのもある。(笑)受け手の側で一律的な基準が設けられない部分があるという意味で、親告罪の形をとる。(受け手側が訴えるもの)

 そして、それがどうこうと私も言う気はない。そういうリスクと責任の元に要は「腹を据えてこれに取り組むか」やめとくかだけの話である。これは理解している。その上で、このネット上では時折こういう本来の肖像権としての撮影者と、被撮影者の関係から生じる諸々の覚悟とは別の似て非なるリスクもしくは、面倒があるのだ。

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 もう一度、話を整理すると肖像権の侵害かどうかは、受け手の側の判断でそれを問題にするかの目線が決まり(それが例えば訴訟になって勝つかどうかは別の問題にしても)訴えることは可能であるということだ。そしてそれに対峙するのは撮影者という当事者間の話である。

 しかして、ネット上で画像等が掲示されている板等ではこれの範疇に収まらない事に時折でくわす。

 つまり、撮影者の利害人でもなく、また被写体となった人物の利害人でもなく、さらにはそれがどういうシチュエーションで、どういう経緯を経て撮影になったのかと言う諸事情もまったくわからない人が、ただ、写真の中に人物の識別可能な顔(場合によっては運動会等の集合で複数人物が写っているものも含む)が写っていると言うだけで、「肖像権の問題で削除した方がよい」「肖像権があるから不適切である」というコメントが付されることが、ままある。

 勿論、ネット上、特にデジタル画像の二次利用の容易性により画像がアイコラ等に悪用される等の可能性もあるだろう。これらの不埒な人たちに関しては激しい憤りを感じる。しかし、それとはまた別の次元でこの何というか、この第三者の立場でありながら肖像権パトロールをしているような人々にも同じように何か嫌なものを感じるのである。

 例えば、これが差別的発言のように、発している矛先は特定の相手であるにしてもその差別的対象になっているものが広く社会一般の不特定多数(特定の国の人とか女性全体)に及ぶ場合には、当事者間を超えるものとして第三者もその社会の一員としてそれをやめるように言う権利があると言える。いや、むしろ義務かもしれない。また、同じ肖像権でも財産権にかかるものに関しては、明らかに財産権を侵害するかどうかが他人でも客観的に判定可能であればそれを忠告する意味があるかもしれない。

 しかし、その辺が曖昧になりがちなものに対してまでネット上で何となく見えない自主規制、もとい他者規制が行われているというのが何となく気持ち悪いのである。撮影者が被写体と対峙し、そしてその被写体の人物と起きるかもしれないリスクに責任を持つというのまではわかる。しかし、そうした諸々の思い、緊張を持ちながらそれを公表した際に、そういう撮影者としての緊張、責任とは蚊帳の外の人間からあれこれ言われるという面倒さ、或いはそれに関わる手間暇を考えれば、私は二の足を踏んでしまうと言うのが正直なところだ。そしてそれを考えざるを得ない部分には何となく割り切れなさを感じる。いや、別にそういうことをコメントしている人の行動の是非をいっているのではない。単に、個人的に、私は、割り切れなくてだからそういうものをここでは出していないというだけだ。

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 全て、承諾を撮り、その場で画像を確認してもらえば良いという話だろうがそういう訳にも実際にはいかないだろう。そもそも、私などのようにいつも散歩で公園の中を通りながらも、花壇や植栽になっているものは作り物っぽくて極力避けて通り(もしくはそもそも興味が沸かない)、時には好奇の目を向けられながらも、腹這いになったり、首を突っ込んだりしながら撮っている者としては、それではスナップの醍醐味も半減するような気がするからだ。(断っておくが、そういう手順を踏んで撮られたものが、つまらないとか作品として良くないと言うことを言っているのではない。腕の良い人が撮ればいかようにしてもうまく撮れるものである。)

 とまあ、うだうだ書いてしまって且つ結論のない話になってしまった。と言いつつ、まあ実際は私は私で消化出来るものをこれからも撮り続けていくのだろう。例えそれが多少被写体の範囲を限定しようとも、1週間のわずかな時間しかカメラと戯れることの出来ない身にとってはそのわずかな時間にそれ以外の煩わしいことを考えるのはいやだなというところか。最近は制限があればあったで、その中でぎりぎりを狙っていくのも良いのかなとも思い始めている。

 私の、いや、俺のこんな柔な心持ちでは、パンケーキ+E-420と言った戦闘的な?コンビもあまり本来の実力を発揮出来ないかもしれないが、、(苦笑)
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by Hiro_Sakae | 2008-05-08 23:51 | 雑記諸々


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