2008年 08月 18日
遺作
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E-420, ZD25/2.8 Pancake
ISO AUTO
CaptureOne 4



   実は、土曜日から急遽実家の奈良に帰省した。実家に残した父母の内、母が病のために今度の金曜日大手術を受けることになったからだ。先月末から体調を壊し入院。愚息二人に心配をかけぬよう2週間近く「ばれないように偽装」していたようであるが先週末ついに事態を告げられた。それでいい年をした兄弟二人で駆けつけたわけであるから良い話であるはずもない。ここまで来たら今週末の手術とその後の経過に任せるしかない。

  先週木曜日から一時帰宅を許された母が身の回りの片づけをし、ひょんな事で私の小さい頃のアルバムや、雑多に取り溜められた写真を整理しようと思ったらしい。そんなときに片隅に入れられた箱を見つけたようだ。本人もそして家族の誰も記憶にない。そして、今回帰省した時に母が、「Hiro(実際は私の名前)、あんた、こんなもん見つけたのよ」と見せてくれた。家族の中では私がまた写真を数年前から真面目に撮り始めているのを知っている唯一の家族である。

  蓋を開けて、そこに私の知らない「独身時代や子ども時代の母の姿」をたくさん見つけその殆どが無くなった祖父の撮ったものであることがわかった。戦前は軍隊の通信兵として、戦後は技師をしながら写真(と8ミリ)を撮り続け、幼い日鉄道写真を撮った時からカメラの手ほどきをしてくれた祖父である。大学に上がる時に、大阪の日本橋でOMを買う時も見繕ってくれた祖父。しかし、社会人になって間もなく他界した時にその膨大な「アーカイブ」ともいうべきものは祖父の息子、娘たちの家のアルバムに貼られて残っていたものをのぞいて全て本人と共に処分された。

  従って、私の家にも私や弟の幼少時代を中心にしたアルバムの写真の中に父母が撮ってくれたものに交じってわずかに残るだけで、加えて私が生まれる以前のものは殆ど残っていない。今回は、古いものは母が2歳(昭和15年頃)から中学、高校を経て、社会人になった頃までがランダムに箱から出てきた。後は、誰が撮ったのか定かではない父の同じく若い頃の写真。半分以上はベタ焼きと思われるもの。2歳の時のものはセミ判のベタ焼き、他にベスト判や、モノクロの今のL版より小さい焼きのものがいくつか出てきた。焼きが小さいからと言ってしまえばそれまでだが、まるで生きているかのようにシャープである。特に2歳の頃の写真は、恐らく母が、戦前祖父の一番の自慢であった戦災で焼けるまであったという離れに作った個室の暗室で焼かれたものだろう。

  何れにせよ、これらの10数枚の写真だけ何故にこの箱に収められ、そして我が家に来て今回こうして母が見つけることになったのかはわからない。また誰がこれのチョイスをしたのかが不明だ。父は、母がこういう時期にこういうものがひょいと出てくるのは不吉だとか思ったようであるが、母は逆に自分のこういう写真が出てきたことが逆に父が守ってくれているように感じたようだ。そして、それらの写真の一番上に、フジカラーと書いたスライドがあった。ハーフサイズのカラースライドだ。私は恥ずかしながら祖父が色んなカメラを持っていたのは記憶しているがハーフのカメラを使っていた記憶がない。また祖父がスライドを撮っていた記憶もない。オートカメラを使う人ではない。私にOMを勧め、オリンパスは良いからといっておきながら祖父がオリンパスを使っていたところは見たことがなかった。ひょっとしたらPenなのかな。写っているものを見れば、、恐らく1960年代前半であればあの頃のハーフで祖父のお眼鏡にかなうのはPenしかあるまいと思った。「見てみい」と言われて、雨戸をおろしたままのかつての自分の部屋で蛍光灯にかざした。

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そこには、多分2歳か3歳ぐらいの私と、父が写っていた。まだ砂利道が残る大阪市内の祖父の自宅前で撮ったものだ。それから、箱の中に貼り付いていたものも出して全て見た。何度も見た。

実は、今回帰省する時にもいつものようにカメラを持って帰った。遊びの帰省ではないので躊躇したのだがとりあえず、E-420にパンケーキだけ付けて帰った。そんな私を見て母や父は「おう、またカメラぶら下げてきたか」と言って笑った。でも、私はその日約1年ぶりに会いそして、予想以上にやつれていた父母を見てシャッターを押すのをためらった。そのやつれぶりと対照的に今週末には手術を受けてその先どうなるかわからない母、そして父が息子との会話でにこにこしているさまにシャッターを押せなかった。

しかし、この箱を見た時に何か踏ん切りがついた気がした。自分でもよくわからないが、私もこの時期にこうしてこれと巡り会えたことに母と同様ポジティブに考えることにした。そして、夕方これ以上暗くなったら撮れないと言う中で、父と母が庭に水まきをしている傍らで手伝いもそこそこにその二人の姿をスナップした。二人は手伝いもせず写真を撮っている息子を無視するでもなく、さりとてこちらを気にするでもなく水まきを続けていた。そして私もただただそれをスナップした。日の丸構図で何の工夫もないスナップだ。父を、母を、そして父と母をど真ん中においたへなちょこスナップだ。

何が書きたいのか、わからなくなったけどでも、本当はこれが撮れればそれで充分なんだよなと思った。それ以外写真に意味なんかいらないんだよなとも思ったのだ。そして何だか吹っ切れた。今週末私はまた帰省する。その時に、苦難に向かう母、あるいは母以上にあたふたしている父そして、駆けつける弟の前で私は、いや俺はシャッターを押せるだろうか、押す気になるだろうか?ただ、一つだけ言えることは、やはりその時しか撮れないもの、そして私が撮りたいと思ったら撮ることに決めた。それの是非は将来、もし私にも託すべき箱が出来た時に考えれば良いことだから。
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by Hiro_Sakae | 2008-08-18 00:00 | 雑記諸々


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