2005年 03月 05日
ファンから見た E-1,E-300のデザイン
いままで、E-systemに対する批判を考えてきたが、そういう私とて、では全部不満がないのかと言われればそういうわけでもない。私が敢えて言うとすれば、E-1,E-300のデザインである。

E-1,E-300の出来上がったデザイン自体を云々するつもりは無い。私とて嫌いではないし、また客観的にデザインの善し悪しを判断できる程の知識もない。精々自分の好みで好き嫌いかを判別する程度である。個々には、悪くないと思う。

さて、E-1やE-300をデザインした時の経緯はいくつかの雑誌やHPでそれぞれのデザイナーさんがコメントをご自身で述べられている。みなさん、ポリシーがあり、オリンパスの中でいくつかのデザイン案が出されその中で選ばれた様である。恐らくそれぞれ、没になったものも含めて一つのデザインとしては完成されたものであろう。

私が疑問に思ったのは、それらの記事の中でそれぞれのデザイナーの方が造形にあたってイメージしたのがE-1の場合は南部鉄瓶であり、E-300の場合は日本刀であるとのことだ。
あるコンセプトに基づいて、イメージしたものがたまたま南部鉄瓶であり日本刀であったことに私は異を唱えるつもりは無い。クライアントから与えられたコンセプトに基づき、自らのイメージを重ね合わせ造形していくことは素人の私が聞いてももっともなことであると思うのだ。

問題はむしろ、それらのデザインの中からE-systemの思想を理解しそれに沿ったコンセプトのものを選ぶ、もしくはそれを反映させる側に有ると思うからである。

性能を犠牲にしてまで小型軽量化を目指しているというわけではないものの、同じ性能を得られるので有ればより小型化を目指すというのがE-systemの思想ではないであろうかと思うのである。OMの様な今以上にメカニカルな部分で規制を受ける時代でも、例えばマウント部分を突出させることにより本体をなるべく薄くしたり、あるいは機能的には何も関係がないのに軍艦部に段差を付け見た目のスマートさを強調した。(オリジナルの発送はPenであるが)

これらが、単にデザインとしての遊びでなく意味を持って語られるのが、それがOMの思想=小型軽量というものにフォーカスした上でのデザイン上の工夫であるからだ。

Eの各カメラのデザインに、性能上落とせない物理的な容量があるのならせめてデザイン上、パッケージ上で解決を図ろうというメカニカル、デザイン一体となった作り込み、追い込みと言った部分が過去のPen、OMの様に感じられない。

単にデザインとしての美しさだけでなく、求められる機能、思想から必然として生まれ、更に無駄をそぎ落とした作り込まれた、考え抜かれた「道具」のみが持つ美しさ、魅力が存在すると思う。デザイナーがいない時代のライカや、セミコンパクトカメラがそれぞれ機械の機構上の帰結としてそのフォルムになったにもかかわらず、出来上がったカメラがえも言われる人を惹きつける魅力(魔力?)を持つのはそのあたりではないだろうか。

もう一つは、無いと思うが今後もデザインがころころ変わりシステムとしての統一性が失われないだろうかと言う意味である。ニコンや、キャノンは良くも悪くもそれぞれのデザインの統一性が図られている。

システムとしての思想は最終的にその機材の姿として反映されなければ、目で見えて伝わらないものである。

すばらしい思想、生き方をしている人は自ずとそれが顔に出てくる。「男の顔を履歴書」とよく言われる。確かに人間は、生き物であるから心が知らず知らず顔と言う形に反映されるのもわかる。しかし、悲しいかなカメラは機械である。作り手がその思想を目に見える形で作り込んで刻み込んでやらなければいけないのである。

まして、システムの中でボディは要である。ハンサムなOM兄さんや、美人のPenFTお姉さんに比べればまだまだ、磨きが足りない様な気がする。
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by Hiro_sakae | 2005-03-05 13:01 | E,Pen-system関係


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