カテゴリ:OMとの関わり( 10 )

2008年 01月 14日
と写真も撮らず、うだうだ書きつつ1980年頃を回顧
  今日は所用で散歩に出ず、でぶらぶらしていたらこんなものを見つけた

OM10の大場久美子のCM
もうひとつの別バージョン

だよねえ。他にもいくつかバージョンあったけど、、結局色々能書き言う年になっちゃたけど当時オリに決めたのはこれだもんなあ。やっぱりカメラは性能だけじゃないよなあとしみじみ、自己肯定。まあ、大場久美子も若かったが私も若かったと言うことでここはおさめておこう。これみて懐かしいと思った人は、、私と同じおじさんですよ~。(笑)

何かアクセス数上がったのでおまけです!
(おいおい、全然カメラと関係ないような、、)
同じ頃の
ペンタックスの早見優(店頭販促バージョンですが例のナレーション「君が大人になっている頃、僕はプロになっているかもしれない」は一緒です。)

そして、有名な
ミノルタの宮崎美子

とこんな感じですかね。ちなみに、これらが放送されたのは1979年~80年。そう、今騒がれている28年ぶりに抜くかと言われている過去最高に一眼レフが出荷された頃。こういうのをバンバンCMに流してキヤノン、ニコンを各社追っかけたわけですね。(笑)ここのアグレッシブさは見習わないと、、でも個人的にはやはり美人という意味では大場久美子だろうと改めてみても思ったりして、、
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by hiro_sakae | 2008-01-14 15:38 | OMとの関わり
2007年 03月 03日
【閑話休題】全然関係ない、マクロ写真とか、、カメラとか
  いささか、自分自身もいらついているようである。(苦笑)こう言う時は、得てして勢いで訳のわからない事を書き連ねてしまうのもなんなので最近写真関係で懐かしい本を改めて手に入れた事を書いてみたいと思う。与太話であるし、いつものように、あれこれ脱線もするが、気が向いた方はどうぞ、、

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by hiro_sakae | 2007-03-03 22:49 | OMとの関わり
2006年 06月 04日
私的に身につまされる記事 写真は出来ればやめない方が、
いつも、楽しく読ませている匠さんのブログの中でも考えさせられる事が多い「悩みの相談室シリーズ」。

写真をやめたいと言う悩みの記事。
そして、写真を続ける、始めるきっかけの中に密かに含まれているだろうネガティブな要素の指摘。自分自身1992年につかず離れずながらもやめることの無かった写真、カメラを文字通り断った経験がある身としては、このやめると言う行為がとても他人事には思えなかった。このブログにとって「about me」的な「OMとの関わり」の中でもさらっと端折ってしまった部分である。このカテゴリに最後の記事を書いて奇しくも丁度1年ぐらい経つので、私の心持ちを書いて匠さんへの回答としてTBしようと思う。

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by Hiro_Sakae | 2006-06-04 00:36 | OMとの関わり
2005年 06月 05日
1999年からはどうなったのか?
御礼を書きながら、当初「OMとの関わり」と題して殆ど人目に触れていない時期に、OM40を手に入れた後、1992年に一度一切カメラから縁を切ってしまい、その後2000年になってまた復活したというとこまで書いて、そのままになっていたことを思い出した。(正確には1999年夏から)気が付くと、きになるので、一気にはしょって書いて、今につなげてしまおう。(苦笑)

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by Hiro_Sakae | 2005-06-05 02:02 | OMとの関わり
2005年 05月 08日
何故にOM-ZUIKOが出ないのかと言う質問に関して
最近、オリンパスのカメラ群に溺れていた私を知る人複数の人がたまたまこのブログを見て下さったようで「デジタル移行宣言をして、M42レンズ遊びをするのなら何故に銀塩ズイコーが出てこないのか?」と言うのをメールで受け取った。

大きなお世話と言いたいところだし(苦笑)、かといって絶対に無いとも言えないが今のところは少なくともOMのレンズにまた戻るという気持ちは無いだろう。

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by Hiro_Sakae | 2005-05-08 08:23 | OMとの関わり
2005年 02月 02日
OM40 と言うカメラ
OM-707が失敗というか、今後の展開が見えず結局カメラから離れてしまうまでの間に最後に買ったのがこのOM40と言うカメラである。

写真を撮る目的の手段としてのカメラという、本来の道具として正しく使っていた若い時期に私はOM1桁のメインストリームラインの機体とは全く縁が無かったというわけだ。このときにOM-1、2なりを知っていたらまた違った展開があったかもしれない。

OM40と言うカメラは、普及品ラインの最終機種になりそれまでTTLダイレクト測光の絞り優先かマニュアル測光しかなかった、二桁ラインでプログラム測光が加わり、加えてお家芸のTTLダイレクト測光に加えESP測光が加わったカメラである。

また、一桁機の差別化のためか、二桁機は従来ストロボではTTLが使えずオートのみだったのが、TTLが使える様になった。

使い勝手の良さ等からいけば、もっと見直されてよい機種であるが、意外かなOM10の様に取り上げられる事も少ない。1桁機と比較すると酷であるが、同じ二桁機として見れば、作りがおろそかであるわけでもないからだ。

原因は、恐らく張られているグッタベルカがこれだけ特殊で、グリップ部を少し盛り上げたラバー製であることだろう。これが今となっては経年でねばねば劣化してしまうケースが多く、使い込むとてかってくるのだ。そして、当時はこのラバーはむしろモダーンでグリップしやすいと言う評価であったが、もうOMシリーズ自体がモダンクラシックの範疇に入る現在となればかえってそれはチープなイメージを醸し出してしまうのである。

以前、オリジナルの張り革を作ってくれる業者さんに頼んでOM40を黒の牛革に張り替えてもらったことがあるが、見違えるほど男前になったのでびっくりしたものである。

いずれにせよ、これ以降はOM一桁もチタンになった程度の変更のみ。フラッグシップに一眼レフがありますよ、程度で完全に趣味の世界には残っているとしても、商品としてのOMはただただ余命を紡ぐだけになってしまった。

そして、Lシリーズは中途半端一眼レフがこけたときには、本業のコンパクトがヒットするのオリンパスのセオリー通り、この後カメラ部門の屋台骨を支える、銀塩最後のヒットシリーズとなるμが誕生したのである。
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by Hiro_sakae | 2005-02-02 13:49 | OMとの関わり
2005年 01月 30日
OM707とのトラウマ
オートフォーカス時代に入り、それまで出遅れていたOMの中に登場したのが、このOM707である。グリップ部分の中にストロボが内蔵されていて、「ストロボーグ」なる愛称がついていた。結局、この後この路線ではOM101と言うあろうことか、このAFレンズをパワーフォーカスのMFで動かすと言う訳のわからないものを作って途絶えた。

自分自身は、これを出た直後に買い求め、学生時代よりは多少お金に余裕ができたため、交換レンズも2本買い結構使い回した。しかし、いろいろな私情でカメラに対する興味が薄れかけていたところに後続機も出ず、その後またMFに戻りOM40を買い求めたが、離れていった気持ちを回復するにも至らなかった。

実は、心機一転で、そのころはほとんど持ち出さなくなっていたOM一式を入社10年目の長期休暇の旅行にあわせて処分し、キャノンのEOSに手を出したことがあったが、ずーっとOM純粋培養だった私には、当時のプラスチックなボディになじめないこともあって好きになれなかった。結局、この買い換えでOM機材は私の手元から無くなり、EOSも旅行から帰って使うこともなく、私の生活からカメラというものが、2000年まで無くなった。

話を元に戻そう。
今回、私がE-systemの一報を聞き、非常に興味を覚えながらもすぐに、復活後揃えたOMと決別し、この乾坤一擲の新システムにすんなり乗り換えようと思えなかったのは、OM707の苦い経験があるかもしれない。
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by Hiro_sakae | 2005-01-30 11:18 | OMとの関わり
2005年 01月 25日
マクロレンズを買ったとき
その後、大学を卒業し会社勤めになってすぐ東京に出てきた。上京して2年ほどは社会人生活に慣れるのに精一杯で、せいぜい会社のイベントや宴会の時に写真係として動員がかかるぐらいでぶらぶら写真を撮るという生活からは離れていた。

転機は、入社して3年目の時に訪れた。当時勤めていた会社の上司の課長さんが冬のボーナスでミノルタのα7000と言うオートフォーカスカメラとズームレンズを購入したのだ。
その日、課長は夕方我慢しきれない様子で「いいものを見せてやる」と私を誘って、誰もいない社員食堂に私を連れて行き、包みを開けた。

こういうカメラが世の中で発売されたというのは当然知ってはいたが、いわゆるカメラ雑誌なるものをほとんど読んでいなかった私には、じーっじーっと音を立てながら焦点が合う事にはびっくりしたものの、課長がいうスペック等のすごさが今ひとつ実感できず、なんとも気まずい雰囲気が流れた。それまで、写真の撮り方なるものは、祖父に教えてもらっていたし、今で言うところの物欲というものがまだ未発達であったのだと思う。

どうせやるなら、勉強しろと言われ半ば強制的に日本カメラという雑誌を読むようになったが、読み出してわかってくると、元々ラジオやオーディオなど機械ものが好きであり、且つこれらが独身寮生活でままならない時期とも重なり、急速にカメラ自体にも興味を覚えていった。

そして、カメラのこと、ズイコーのことも知識が増えていった。そんな中で、私が興味を覚えたのはマクロレンズであった。元々今持っているズームより更に望遠のものは私には必要なかったし、当時は画画自体も自分が前進したり、後退するものとおもっていたので、普段はほとんど不自由を感じていなかったのだが、花や虫とか目についたもので近くに寄るのだけはいかんともしがたく、もどかしい思いをしていたからだ。

ズイコー自体はマクロ関係は他のメーカーと比べても当時ぬきんでており、いろいろな種類のものがあったが、私としては50ミリのF3.5のマクロを買った。これであれば、値段もマクロレンズの中では一番手頃であるし、何より標準の代わりにつければ万能であると思ったのだ。

当時の私には一番廉価のこのレンズでも新品は高いので、中野のカメラ屋で新古品を手に入れた。同じ50ミリでも標準と違い、すり鉢状の奥に小さいれんずがついているのが私には何か特殊なレンズめいて嬉しかった。雑誌の評判も悪くなく、何より、ようやく標準以外のズイコーが手に入ったのも嬉しかった。このときOM10にマニュアルアダプターをつけた。

ただこれだけであったが、当時急速に写真の知識を深めていた頃でもあり、なんだか急にシステムがグレードアップした気がした。そして、程なくして35ミリ/F2.8の中古が戦列に加わった。
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by Hiro_Sakae | 2005-01-25 00:16 | OMとの関わり
2005年 01月 24日
最初のズイコー交換レンズ
当初、標準レンズとシグマのズーム(確か35-105ミリ)を入手した後この2本で満足していた。一つには当時近くの風景を取りに行ったり、大学の行事のスナップ等にはほとんどこれで対応できたからだ。

途中、写真をやめてしまったときにネガフィルムからほとんど捨ててしまったがその中で唯一残っている旅行の写真のいくつかは、この組み合わせでとったものだ。と言うか、実際のところはクラブのスナップ写真はこのズームを使い、気が向いて近所のお寺や家族の写真を撮るときは標準レンズ一本でこなしていた。

今のように機材云々におぼれることなく、清く正しくただただ、写真を撮ること自体が楽しく感じられていた時期である。結局学生時代の4年間はこのシステムともいえないシステムと後はサンパックのオートのストロボだけで過ごした。でもそれはそれでとても楽しい時代であった。
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by Hiro_Sakae | 2005-01-24 23:54 | OMとの関わり
2005年 01月 20日
はじめて手に入れたOM10
元々は、小学生の時に当時はやっていた鉄道写真に目覚め、祖父がカメラ好きだったところからカメラを借りて一緒に撮影しに言ったのがはじめだったと思う。

それは、結局中学2年にあがる頃まで続いたが、その後高校時代は中断。大学受験を終え再び写真に戻った。そしてこのとき初めて自分の一眼レフというものを買おうと思った。

私が大学に上がる頃は既にオリンパスのOM1が登場して数年たっておりカメラも小型化されAE等が導入された初心者向けの一眼レフが各社から登場していた。正直なところそのときもし私のバイトでためたカメラ購入資金がもう少したくさんあれば、私はキャノンのAE-1を買いキャノンファンになっていたかもしれない。

少し、AE-1では高くて、次というと当時は一眼レフのコマーシャルというのがテレビでも頻繁にあり、宮崎美子のCMのミノルタか、後メーカーは忘れたが早見優の宣伝していたものかもしくは、大場久美子のOM10あたりであった。

結局、私は祖父に連れられて、大阪の日本橋界隈のカメラ屋さんに行き、OM-10ブラックの標準レンズ(50/1.8)付と、少し浮いたお金で純正のZuikoが手が届かないために、シグマの標準ズームを買い、革ケースと、おまけにハンタータイプのワイドストラップをつけてもらった。

比較検討した結果、OMの軽量な部分等メカニックに惚れたと書きたいところであるが、その実は当時私が大場久美子のファンで、そのときについていたノベルティにつられたというのが
私のOMとの出会いとのお粗末な真相である。

こうして、1980年の夏、私とZuikoとのつき合いはOM10と共に始まった。
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by Hiro_Sakae | 2005-01-20 00:35 | OMとの関わり